アース・ゲインについて

創業の精神

私は玉島で生まれ玉島で育ちました。両親共に仲良く、兄と弟と共に幸せに育ちました。喘息で体が弱かった父は
入退院を繰り返しながら仕事に行っていましたが、母は、父の面倒を見ながら我々3人の息子を育ててくれました。
両親共に苦労人でしたが、「苦しいときこそ笑っとけ」という信条の元、いつも家庭は明るくにぎやかでした。
一浪して大阪の大学に進学し、そのまま店舗設計の会社に就職しました。

「大きな仕事がしたい!」

そんな願い通りに設計から施工・監理までトータルで任され、仕事のノウハウは全て現場から学びました。
一方で、大企業が故の非情な体質も目の当たりにしました。業績が悪くなった途端に大リストラが強行。
活躍していた先輩や仕事を教えてくれた先輩達が沢山解雇され、失望と共に私も会社を退職することを決めたのでした。

これまで培ってきたノウハウがあれば、何でもできるという根拠のない自信から独立したものの、
営業資金で借りた借金は、ほんの半年で膨大にふくれあがりました。
一方で、私の周囲には誰も仲間がいなくなりました。
借金返済のため、車の部品工場や魚屋、引越しのアルバイトなど朝から晩まで働きましたが、返済のめどはたたず、
次の給料日まで2週間もあるにも関わらず財布の中はとうとう27円という事態になってしまいました。
悩んだ挙句、気がついたら実家の母に電話をしていました。心配をかけたくない思いもあり、
詳しいことは一切言い出せぬまま電話を切りました。

すると、その日の午後、父が広島まで車でやってきました。
食事をしながら、たわいもない話をする父は、私の近況のことは何も聞かず、
ただ最後に黙って茶封筒を手渡してくれました。
父の車が見えなくなった後、封筒を開くとそこには10万円が入っていました。
自分ひとりで生きているのではないと自分の傲慢さを反省すると共に、
親子の縁は離れていても繋がっていると気付いた瞬間でもありました。

親孝行するためにも、もう一度出直してがんばりたい、そんな思いがご縁をつなぎ、
広島の建設会社に就職しました。
家族のために家づくりをしたいというお客様から、幸せのおすそ分けをいただくような日々を
送っていたある日、父が外出先で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
突然の知らせに、明るかった母はすっかり家から出られなくなってしまいました。
そんな母を私の代わりに力づけてくれたのは、近所の人々でした。

気づけば私の故郷は、若い人達が都市に移り住み、高齢者ばかりの街となっていました。
広島の会社を7年務めた後、地元に帰ろうと思ったのは、自分自身が苦しい時に故郷の両親が
いつも身を案じてくれていたこと、また私たち家族が苦しい時には、地元の人々が力に
なってくれたこと、そんな心の拠り所だった故郷をもっと活性化したいと思ったからなのです。

アース・ゲイン代表藤野彰弘

株式会社アース・ゲイン 代表取締役 藤野彰弘



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